大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和44年(むのイ)2412号 決定

申立人

渡辺千古

外二名

主文

本件忌避の申立をいずれも却下する。

理由

一  本件忌避申立の原因の要旨は、

冒頭掲記の被告人一八名は、いずれも前記被告事件で起訴され、係属した東京地方裁判所刑事第一三部で併合決定がなされたうえ、裁判長裁判官東徹、裁判官石井義明、同本井文夫の構成のもとに審理されている者であるが、昭和四四年一一月一九日第一回公判期日の審理中、被告人加藤功夫までの起訴状朗読が終つたころ、弁護人らは傍聴席の周囲を多数の警備員が佇立して裁判公開の原則の趣旨から好ましくない状態であると考えたので、弁護人より警備員を着席させるよう要求し、裁判長もこれに相応の措置をとつたところ、一傍聴人が挙手して「質問があります。裁判長は傍聴人についてどのようにお考えですか」という趣旨の発言を行なおうとしたので、裁判長はただちに同傍聴人に退廷命令を発しこれを退廷させた。弁護人らは右の裁判長の処分に対し、(1)傍聴人に関する事項については傍聴人にも質問する権利があること、(2)質問した傍聴人に対し、何らの注意も与えないで、質問と同時に直ちに退廷命令を発することは、法廷警察権の濫用のあることの二点にわたる理由を述べて異議の申立をしたのに、裁判長は、合議のうえ「傍聴人の発言は一切許さない。傍聴人に質問したいことなどがあれば、弁護人を通じて行うこと」などと説明を加えて異議を棄却した。そこで弁護人らおよび被告人がさらに右理由と同趣旨の意見および発言をしたところ裁判長は俄かに立ち上るや「家族以外の傍聴人は全員退廷」と退廷命令を発し、予め出動を要請して待機させていたと思われる警視庁機動隊数十名を直ちに法廷内に導入して傍聴人の大部分(約四〇名余)を退廷させた。しかしながらこれに対し、弁護人らはただちに、(1)家族以外の傍聴人の中にも何ら発言等をしていない者がいるにもかかわらず、その特定もせず概括的に退廷命令を発したことは主権者たる国民の傍聴をする権利(公開の原則)を侵すものであること(2)家族とそれ以外の者の特定をなさなかつたため強制的に退廷させられた者の中に家族も含まれていたこと(3)裁判長の右退廷命令発令後適法に入廷してきた一女子学生まで退廷させられたことの三点を理由にして、異議の申立をしたが、裁判長は合議の結果、右申立を棄却し、そのさい間違つて退廷させられた家族については、まだ法廷の廊下に居るなら入廷を許す旨述べただけで不法になされた女子学生の退廷執行については何ら言及しなかつた。さらに弁護人らは、その後裁判所に対し午後の法廷再開にあたつて再度の傍聴券発行方など善処を要求したが、裁判所は、合議の結果、家族以外の者については一切傍聴券を発行しない、とした。おもうに、右二度目の退廷命令は、明かに退廷事由もないものをも含めた概括的な無差別の違法な処分であり、それは、また退廷させられた者の大部分が被告人の学友であるというだけの理由から学生一般に対する予断偏見に根ざすものであり、特に退廷命令後に入廷した女子学生への退廷執行とその異議棄却からもそのことが明らかであり、一方、午後の傍聴券の再発行についても、被告人の家族以外の者へは許可しないという決定をしているのであるから、これら一連の裁判所の言動よりすれば、右の退廷命令を発した裁判長および合議の結果それを容認した両陪席裁判官の下では、学生である被告人らにとつて今後の審理にあたつて、公平な裁判を受けることを期待することが不可能であるので、被告人らと協議のうえ、右三裁判官に対し本件忌避の申立をする。

というのである。

二  そこで本件申立を判断するに、弁護人らの本件忌避の申立の骨子は、その前提として公判開廷中傍聴人にも発言権(質問する権利という)があることを理由にして、裁判長のこれに対する退廷命令のあり方ひいてはその法廷警察権の行使の方法に違法がある、とするもののようである。がんらい国民は、裁判公開の原則により憲法上傍聴の自由をもつ。傍聴の自由は、公正な裁判の運営を図るという沿革的な理由に基くもので、したがつて傍聴を許された傍聴人は、いかなる意味においても訴訟関係人ではなく、たんに裁判の公平を担保するためのものとして裁判の場である法廷で訴訟の進行を静粛に見守ることを許されているにすぎないものであり、もとより発言、質問などを権利として認められているものではない。もし、これに反し、みだりに発言などし、これによつて裁判所の職務の執行を妨げまたは不当な行状にあたるとされて退廷を命ぜられても、むろん公開の原則に反するものではないのみならず、そのゆえをもつて法廷警察権の濫用となるものでもない。

(イ)  本件において弁護人提出の忌避申立書、当裁判所に対する弁護人の申立についての補足釈明、証人市野幸子、同安田茂、同吉田彦衛、同内山歳雄の各供述ならびに録音テープおよび公判調書の記載を総合すると、本件忌避申立のあつた第一回公判期日には前記被告人ら一八名に対する各事件が併合されたうえ新聞記者を除く一般傍聴人用に予め四八枚の傍聴券が発行され、ほぼ満席となつて開廷されたこと、公判冒頭の人定質問に対しては被告人一名を除いて他はいずれも氏名・職業等を黙秘したこと、そのご起訴状の朗読に入り、被告人加藤功夫まで終つたこと、そのころ傍聴席中央後部から二、三段付近に固まつて一見して被告人らの家族と思われる年輩者の傍聴人七、八名が着席しており、これらを除いた傍聴人は一見して学生風であつたが、この学生風の傍聴人の中には、当初からしばしば裁判長の発言にさいし「ナンセンス」などと叫び、あるいは弁護人・被告人の発言に呼応して喚声を上げる者があり、法廷内は時々けん噪に及ぶこともあつて、そのつど裁判長は再三にわたり、傍聴人に対し「傍聴人の発言は許さない。発言すると直ちに退廷させることがある」旨注意していたこと、さらにそのさい弁護人が裁判長に対し警備員の着席方を要求して発言中、傍聴人である学生風の男が立ち上り「裁判長、傍聴人の定義を説明せよ」などと発言したので、裁判長はかさねて「傍聴人は傍聴するだけで発言することはできない」と警告したにもかかわらず、これを無視した同人が挙手して「裁判長質問」とくいさがつて発言したため、裁判長は法廷の秩序維持のためただちに右発言者に退廷を命じ、同人は警備員により退廷させられ、その後弁護人から申立人主張の内容の異議申立がなされたこと、弁護人の右異議申立につき、訴訟関係人より右発言が行なわれるや、前記家族と思われる以外の多数の傍聴人ならびに被告人らは、口ぐちに「そうだ」「よし」「異議なし」「ナンセンス」などと発言し、法廷内は怒号、喚声、笑声等までしばしば騒然となり、裁判長はこれを制止しながら異議申立を棄却したが、これに対し、さらに弁護人らは、納得せず、前記家族と思われる以外の傍聴人も大声で「ナンセンス」などと連発し、一同総立ちになつて、裁判所の措置を非難、抗議するに至り、法廷は一層けん噪を極め、とうてい正常に審理できる状況ではなく、一刻も早く事態を収拾する必要があつたため裁判長が法廷の秩序維持上やむなく、被告人の家族以外の傍聴人の退廷を命じたこと、この命令は警備員および警察官により、前記の一見して家族と思われる者七、八名を除いて全員に退廷執行されたこと、これに対し弁護人から再度申立要旨記載の内容の異議の申立があつたが、裁判所は合議の結果異議を棄却したこと、なおそのさい、裁判長は、間違つて退廷させられた家族の者があるならば、弁護人が家族であると証明する者に限り再入廷を許す旨を告げ、一女子学生の措置についてはとくに言及しなかつたこと、その後の弁護人の傍聴券の再発行要求方については、裁判所は、家族以外の者については傍聴券の再発行をしないとしたことの各事情が認められる。

(ロ)  以上の事実によつて判断すると、裁判長のした第一回目の退廷命令ならびにこれに関する弁護人の異議に対する棄却決定は、一傍聴人が、裁判長の再三にわたる注意または制止をききいれず、許可を受けないで発言をし、これがため裁判所法、刑事訴訟法の規定にもとづき、退廷させられたものであり、まことに適切であつて、何ら違法、不当のかどがない。またそのごなされた第二回目の退廷命令および異議に対する裁判所の決定については、裁判長および裁判官が前記のように家族と目される以外の者が各人口ぐちに発言し立ち上るなどしてけん噪に出たことを現認のうえ、前認定のような方法で傍聴人の退廷を命じたものであり、当時退廷を命ぜられない家族は、いずれも他の傍聴人と区別できるように着席しており、また年令、服装からしても一見識別できたのであるから、当時の状況としては、裁判長の退廷命令ならびにその執行の方法に何ら妥当を欠くものがない。裁判長は、法廷の主宰者として機にのぞみ適切に法廷警察権を行使する責任をもつ。そして裁判所の権威の保持と同時に被告人の正当な権利よう護のため慎重にしかし果敢にこの権利を行使されるべきである。もし多数による不当行状により法廷が混乱におとしいれられるがごとき事態になれば、裁判長は当然かかる事態を収拾して審理の場としての法廷の秩序を回復するのである。弁護人は退廷させられた傍聴人の中には何ら発言等しない者および家族もいた旨主張するけれども、前記当裁判所の事実調べによつても、かかる者の存在を窺い知ることができないのみならず、もしかりに万が一このように大勢の者の退廷の執行の混乱した状況のさなかにおいて右家族らが一部誤つて退廷させられたとしても、それは、当裁判所の認めるところによれば、騒ぎ立てる多数の傍聴人の退廷時の行動に原因するもので、退廷命令または、その執行方法の不当によるものとは考えられない。一方退廷命令後に入廷した者があり、その者に対する処置についても、当裁判所の事実調べの限度では、退廷命令と殆んど同時ごろ市野幸子という女子学生が入廷したようであるが、前と同様に担当裁判長および裁判官ですらこれを現認できなかつた一瞬の間のことであり、法廷内の迅速な秩序回復のためまことにやむを得なかつたものと認められる。これらの点において裁判長の法廷警察権の行使に違法・不当は存在しない。

したがつて、その然らざることを理由とする弁護人らの異議申立も、けつきよく、失当であつて、これを棄却した裁判所の処置も、とうてい違法または不当のそしりを受けるものではない。

(ハ)  ところで弁護人は、これら一連の処置をとらえて裁判官に対する忌避の理由に結びつけるもののようであるが、いうまでもなく、不公平な裁判をする虞という忌避の原因は、裁判官をして職務の執行から脱退させるにつき、除斥原因と同様の効果をもつ。これは類型的であるのに対し、あれは非類型的でいわば補充的である。したがつて両者にそのような差異はあつても、いずれも当該訴訟の進行自体と直接には関係なく存在する客観的事情と理解される。本件において、傍聴人の発言権の有無、これに端を発する一連の退廷命令ならびにそれに関連する裁判長の法廷警察権の執行方法等につき、もし当事者が不服ならば異議申立等をなすべきであり、またそれで足りる。しかるにそれで納得せず、さらに忌避申立をするのは、ほんらい理由とならないことを理由にする見当違いのことと思われる。本件の三裁判官につき、偏頗な裁判をする虞があることを疑わせる客観的事由は全くない。ことに本件の退廷命令等は傍聴人に対するものであつて、被告人に対するものではない。弁護人の主張するようにたまたま退廷させられた者の大部分が被告人の学友である学生であつたとして、これにより直ちにこの処分が学生一般に対する予断偏見(申立人の主張は、いかなる予断偏見であるかについては、「学生一般への不信」を言うのみであつて、その内容は必ずしも明確であるとは言い難い。)に根ざすものであるとは到底合理的には推論し難い。

三  いずれにしても法廷警察権の行使および合議決定の不当を主張するに留まれば格別、進んでそれが裁判官の学生に対する不信という予断偏見に基づくものと推論して、被告人ら学生の裁判をするに当つて不公平な裁判を受ける虞れがあるとする主張は、申立人主張の右事情を総合勘案しても、客観的合理的根拠を欠き、申立人の主観的な意見の域を出ず、本件申立の三裁判官に不公平な裁判をする虞れがあるものとはとうてい認められない。

よつて本件申立は、理由がないので刑事訴訟法二三条により、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 向井哲次郎 裁判官 三井善見 裁判官 中西武夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例